全ての定説は仮説である

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【人生を楽に生きる】馬を水辺まで連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない

上司に認めてもらえない、好きな人に振り向いてもらえない
自分はこれだけしているのに、なんで分かってもらえないんだ!
と、悩んでいる人も多いと思います
この悩みは非常に辛いものですよね

自分はやれるだけのことをしているのに、結果が伴わない
相手が考え、答えを出すことだから、自分ではこれ以上どうしようもできない
無力感で疲れ果ててしまいます

さて、そんなあなたが楽になる言葉を一つ贈りましょう

「馬を水辺まで連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない」

つまり、自分にできる努力は最大限行うが、最終的な判断は相手に委ねられている
ということです

これは、色々な状況に照らし合わせることができます

例えば、
・好きな人に振り向いてほしいのに振り向いてもらえない
・上司に認められたいのに、認めてもらえない
・なぜか人から嫌われてしまう

人に好きになってほしい、認められたい、というのは最終的に判断を下すのは相手ですから、そこはもうコントロールのしようが無いんですね

もちろん、好きな人に尽くすだとか、お洒落に気を使う、モテる会話を学ぶ、など
”望んだ結果を得られるよう、できる限りの努力を行うのは当然”ですが、だからといって、必ず好きになってもらえるわけではない訳です。

そこはもう望んでもどうしようもない、悩んでもどうしようもない
だって、馬を水辺まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできないんだから

人に嫌われた?それはあなたが悩む問題ではなく、相手が悩むべき問題

これまでの説明でご理解いただけたかと思いますが、嫌われるつもりはないのに、
・相手に嫌われてしまった
・職場の人に嫌われてしまった
・友だちに嫌われてしまった
という問題も、自分が悩んでも仕方ないわけです

そもそも、他人に嫌われよう!と思って行動する人はいませんよね?
それでも結果的に他人に嫌われてしまったのなら、それはもう仕方ない
嫌われたとき悩むべきはあなたではなく、相手が悩むべき問題なんです

自分にとってやるだけのことはやった、でも嫌われた
しかし嫌われたくないから、相手の好きなこと、気に入ることをする
という風に行動してしまうと、相手が望む行動や言動をとってしまいます

それはつまり、自分の人生ではなく他人の人生を歩んでしまうことに他なりません

どうしても嫌われてしまったのなら、嫌われていてもいいと、それは相手が悩むべき問題なのだから、自分が悩んでも仕方ない、と割り切って過ごす
仕事上の関係であれば、そう割り切って、こちらからは普通通り話しかけて仕事を進めるのが理想でしょう

相手が自分が嫌っているからといって、自分も相手を嫌う必要はありませんから

どうしてもそれが辛いなら、職場を変えるなどそもそも付き合う人を変えるしかないですね

 

【馬を水辺まで連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない】

この言葉はたくさんの場面で応用できる言葉です
心の奥にしまっておき、辛い場面で思い出してみましょう
すっと楽になるはずです